悪かったな、北斎の娘で

長澤まさみ、永瀬正敏、髙橋海人、監督・脚本:大森立嗣
長澤まさみ

お栄さん、寂しくなったりしないのかい

長澤まさみ、永瀬正敏、髙橋海人、監督・脚本:大森立嗣
髙橋海人

まだ猫一匹 しっかり描けやしねえ

長澤まさみ、永瀬正敏、髙橋海人、監督・脚本:大森立嗣
永瀬正敏

おーい、応為

COMMENT

長澤まさみ

葛飾かつしか 応為おうい

大森監督はパッションが強い方。演じることに向き合うだけでなく、自分と向き合う時間を与えてくれました。そして私の心に灯った火を見つめる眼差しに、映画作りへの深い愛情を感じます。

応為は子供の様な大胆さがあり、人の目を気にせず自由に生きます。 その姿は現代の女性の匂いを纏っていて、カッコいい。 知れば知るほど、味わい深い人物で、実際に彼女に会ってみたい、見てみたいと思いました。 絵や北斎に対しては、まるで人生そのものをかけているようで、勇ましく神々しい。 その全てに、私は憧れを抱きながら演じていました。 凄まじい情熱を持って生きた父娘の姿を温かい目で見てもらいたい。そんな映画になっていると思います。
どうぞ、宜しくお願いします。

髙橋海人

渓斎けいさい 英泉えいせん (善次郎)

ずっと願っていた時代劇、そして大森立嗣監督作品への参加はとても嬉しかった分、不安もあり、クランクイン前は大森監督に本読みをさせて頂きたいとご相談したほどでした。
撮影期間は、時代劇ならではの所作など学びが多く、毎日新鮮な1か月でした。
長澤さんが引っ張ってくださり、永瀬さんが優しくしゃべりやすい空間を作ってくださり、撮影中も撮影外も3人の関係性をとても居心地よくしてくださいました。
僕が演じた善次郎は軽く見える面もありますが、生きるために家族を養うために、絵を描き、そして職を変える現実主義な人物だと捉えています。当初予定になかった絵を描くシーンも直前に追加され、筆で絵を描く貴重な体験をさせていただきました。
お栄(応為)が自分のやりたいことを仕事にしてプライドを持ち絵を描き生きていく、その強さや覚悟が自分もいろいろなことに挑戦したいなと思っていただける作品になっていると思います。
周りの環境に惑わされず、絵を描いていきていくお栄(応為)と北斎、そしてその二人に翻弄されながらもそばにいる善次郎の関係性もお楽しみください。

永瀬正敏

葛飾かつしか 北斎ほくさい

繊細な線、力強い線、確信を得た点、、、

大森立嗣監督の筆、長澤まさみさんの筆、
皆さんが持ち寄ったそれぞれの筆と
様々な濃度の墨によって描かれた
一枚の合作作品の様な素晴らしい現場で
葛飾北斎として生きられた日々は
一生忘れられないものとなりました

いつも思う事は
揺れ動く不安定な感情の行く末を案じる時
ふと気がつくと、そこには必ず
大森監督の視線が寄り添っていただけている事

また
絵に魂を捧げ
大胆に自由に生きられた北斎の
“心"と言うべき存在のお栄(応為)
長澤まさみさんは
僕にとってまさに同様の存在でした

感謝しています

熱と信頼、そして確信
スピード感溢れる大森監督の現場は
今後の日本映画の基本になるはずです

始まりは
一つの小さな細い線を描くのにも
おぼつかなかった自分を
丁寧に諦めず
最後まで指導してくださった
絵画指導の先生方にも
心から感謝しています

大森立嗣

監督・脚本

応為という女性は北斎(鉄蔵)の娘で、北斎と生活を共にした。絵の才能は抜群だった。彼女の描く美人画は伸びやかで美しく、北斎は自分よりいいと言った。だが残されている作品は数少ない。谷川俊太郎風に言えば、応為はこんなことを思っていたのかもしれない。「そんなこと思ってないよ」と応為は言うだろうけど。

生きているということ
いま生きているということ
それは鉄蔵のイビキを聞くということ
煙草を吸うということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
それは葛飾北斎
すべての美しいものに出会うということ

長澤まさみさんの演じる応為がオンボロ長屋で佇む姿がいまだに脳裏に焼きついて離れません。おそらく長澤さんは、長澤さんとしてでも、応為としてでもなく、ただの一人の誰か、体の大きな、キセルと犬と絵が好きな、江戸の長屋にいるある女として、そこにいたのだと思います。

それは息をしているということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

長澤まさみと言う女優はいつだってすごくいい。でもこの映画の長澤まさみは最高かもしれない。